昨日、母が亡くなった。 前日の夜、妹からの電話で危篤状態だからそろそろ帰ってきた方が良いとの連絡が入った。 電車がなかったため、翌日(16日)の始発で岡山に向かった。その途中で、妹から母の死亡の連絡が入った。
LINE で家族全員に状況を説明。今日中に岡山に集結するよう連絡する。こんな時LINE は便利。
取り敢えず昼前に加藤内科に直行。 すでに母はいつもの病室で冷たくなり安置されていた。
間も無く葬儀屋が遺体を引き取りに来た。父の時と同じ岡山南典礼会館。実家から歩いて5分程度と近いので何かと便利。
母の遺言で家族葬でひっそりと行う、とは決まっていたもののそれなりに大変だ。葬儀屋との打ち合わせ、家族、お寺さんへの連絡。やることが一杯ある。
夕方から、我が家の家族も続々と集まる。浜松、富山で学生やってる息子、娘たちも直接駆けつけてきた。急に賑やかになる。
16日の20時から通夜。祖父、祖母、父の時と同じ松壽寺でお願いした。会場は典礼会館だが、松壽寺の息子が読経に来た。おなじみの住職は出張らしい。告別式には間に合うよう都合をつけてもらった。
昨日はうちの家族(7人)と叔父、叔母、みんなで典礼会館に泊まった。母の遺体のある部屋に布団をひきワイワイと寝た。不思議な光景だなぁ。一生記憶に残りそうだ(笑)
翌日は11時から告別式。 父の時と違って家族葬でひっそりしたものだ。告別式の前に親戚が集まり集合写真を撮る。 この数年の間にでた新しいサービスだそうだ。このあと親戚、家族が集まる機会もあまりないだろうからいい記念になる。
告別式の締めは喪主からの挨拶。喪主は私だ。昨日の通夜も挨拶したが、喋ることを見つけるのはそれなりに大変。通夜、告別式にふさわしい内容にしなければならない。父の時の喪主も私で、通夜、告別式の挨拶は私が行ったが、後で出席者からあーだこーだと批評される。だから下手くそなスピーチはできない。
告別式の後は霊柩車、タクシーを連ね火葬場へ。霊柩車は白いリムジンだ。私と叔父、家内とチャー坊が同乗した。
その後。。。。いろいろあったが、もう書くのが面倒になった。そのうち気が向いたらブログに書き残しておこう。
とにかく私が喪主を務める告別式はもうこれで最後にしたい。疲れた。
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