岡山で一人暮らししている母が癌で余命2、3ヶ月と宣告された。
今年の3月辺りから体調を崩して、近所のあけぼのクリニックに通っていたらしい。お腹が張るような感じがして食欲がなかったそうだ。クリニックでは一通りの検査を行ったが特に異常が見つからず、更年期系の問題か、と言われたらしい。それから何度か通い、色々検査もやったそうだが主治医から「癌でない」と太鼓判が押されたらしい。気分的な問題もあるのでどんどん運動して、旅行にも行くように促されたそうだ。
私も5月中頃、母と電話をしてこのことは聞いていた。最近お腹がポッコリでて、顔がげっそり痩せてしまった、と嘆いていた。それでも予定通り6月から友達と台湾へのクルーズの旅に出かけると聞き、心配はしていた。
5月30日(土)ちょうど小学校の運動会の最中だった。妹からLINEがあり「どうやら母さんが癌の疑いがある。詳しくはもっと大きな病院で検査をする」という連絡があった。旅行を前に、あまりにお腹あたりの具合が悪いので、いつものクリニックに母一人で行ったそうだ。そこまで言うのなら念のため、ということで腹部エコーをやってみたところ腹の出っ張りは腹水だったことがわかった。その時点で医者は膵臓癌を疑ったそうだが、詳しいことはそこでは分からず、近くの岡山労災病院を紹介された。
翌日には緊急入院となり、様々な検査が始まった。一番疑われていた膵臓は問題がなかった、肝臓も胃もOK。長野県にいる私には、携帯電話で毎日報告を兼ねた連絡が母からあった。残るは婦人科系、ということだ。「子宮ガンなら切除しちゃえば治るよ。今時、癌じゃなかなか死ななないよ」なんて楽観的なこと言って母を励ましたりしていた。
入院から10日も経った6月9日(火)、妹から連絡があった。今医者から最終結果が言い渡されたが、末期の腹膜癌で余命は2、3ヶ月とのこと。抗がん剤治療を行うと1年ほどは伸ばせるものの完治することはまずないそうだ。
その検査報告を、母も一緒に聞かされたそうだ。
母の携帯に電話をかけた。「私、もう死ぬらしんよ。抗がん治療や延命処置は一切いらんからよ。私、痛いの嫌じゃけーこのまま早よー死なせて」思いの外、カラッとしたいつもの口調でこう言った。
週末13日から岡山に行っていた。今後の治療方針を相談するためだ。一切の治療は不要という本人の意志はわかったが、一応家族で話し合ってくださいと病院から促され、私と妹、そして母の弟の重之叔父が岡山の実家に集まった。
母も一泊の一時帰宅で病院から戻ってきた。
助からないなら一切の治療は不要という母の意志は、健康な時から聞いていたし、私も同じ立場なら同じことを言うだろう。これに関しては誰も異議は唱えない。できるだけ母の意志を通してあげたい。
これ以上治療を行わないなら今の病院から出なければならない。終末期の緩和ケアを行うホスピスに入院しなければならない。これに関しては2つほど緩和ケアホスピスを紹介してもらった。どちらもそれなりの施設でちょっとしたビジネスホテルよりずっと広く居心地が良い。
その夜は、隣の妹から運び込んだご馳走で宴会? 身内が集まっての食事もこれが最期かもしれない。母が食べたがっていたカツレツもある。母は、途中何度かシンドくて横になっていたがよく喋る。遺影を選ばなきゃと、今まで撮った膨大な写真を引っ張り出し、一つ一つ写真を解説しながら思い出話しが始まる。
子供時代の話、家族の話から始まり、自分の葬式の形態やら参列して欲しい人、はたまた葬式で信州から来た孫たちの寝る場所の心配までしていた。 通夜で故人の昔話に花を咲かせるってのはよくあるが、生きているうちに本人を交えて通夜をやってるような、不思議な雰囲気だ。
今日、一時帰宅の母を再び病院に送り届け、私は信州に戻ってきた。
色々色々、、、ぐったり疲れた。
コメントをお書きください