二日目。午前から父の墓参り。東山霊園へ。
墓石には私の名前も書かれているが、あまり現実感はない。生活が信州にあるからなぁ。こっちに戻ってくる気もないし。
その後、義弟の運転で妹夫婦と母で津山に行く。
私の生まれた町。小学校5年生までこの地で育った。後は今の岡山市に引っ越したのだが、私にとってはこの津山が一番の想い出のところ。思い出す子供時代の光景はいつも津山なのだ。
そんな町に30年以上ぶりに訪れた。
津山市は岡山から約60キロ程北に上がった、県北では中心となる町。とはいえ人口は10万人程度、昔からあまり増えていない。むしろ人口流出気味にある。
まず行ったのは津山高校。母が出た高校。父もここで社会科の教師をやっていた。そう言えば名古屋の叔父もここの出身だ。当時の校舎は国指定重要文化財に指定され、今もそのまま残っている。母のいたクラスもそのままあり、懐かしそうだった。
次に行ったのは、私が小学3年~5年生まで暮らした津山高校の男子寮の舎監住宅。妹が20年ほど前に訪れたときは誰も住んでいなく廃墟だったそうだ。もう壊されているだろうと思ったがとりあえず行ってみた。
「あった!」ぼろぼろで玄関にはロープが張られていたが、辛うじて当時の面影がある。和室が3部屋、ダイニングがある典型的な借家用一軒家。当時、津山高校の教師だった父は、男子寮の管理も任されていたのだ。家はその男子寮のすぐ横にあり、風呂や電話は寮のを使わせてもらっていた。
よく生徒達の部屋に入っては遊んでもらってたなぁ。 今は男子寮ではなくなでしこ寮という女子寮になっている。私たちがかつて住んでいた舎監住宅を外から中を覗いてみた。「あそこに机があった」「テレビはあそこにあった」と記憶がよみがえってくる。
アポロ11号が月面に下りたときはテレビ中継され、生徒たちがこの部屋に集まり皆かたずを飲んで見守ったもんだ。 なんだかんだと生徒の出入りの多いにぎやかな家だった。
その廃墟は未だにあるが、回りの景色がすっかりと変わっていた。いつも回りで遊んでいた大木はもう倒され、住宅になっている。隣に2連あった営林署の長屋は全て取り壊され更地になっていた。木造の男子寮は取り壊され、きれいな鉄筋の女子寮に変わっていた。 周りがすっかり変わっているのに、私の住んでいた舎監住宅だけが廃墟としてぽつんと残されている。何でだろう。
次に訪れたのは、私が小学2年までいた教員住宅。 といっても、今ではすっかり変わってしまい、場所もよく分からなかった。とりあえず何か手がかりはないかと、私の通ったルーテル幼稚園をGoogleMap で探してみた。幼稚園は無いがルーテル教会があった。多分以前のルーテル幼稚園じゃないかということで行ってみた。
「うーん、こんな感じだったっけ?」というあやふやではあるが、なんとなく面影を残している。 「幼稚園がここなら家はこっちの方向だ」と当たりをつけ、ぶらぶら歩いてみた。「そう言えば前に東松原公民館があった」と母が思い出し、GoogleMapで探してみた。それらしい建物がある。行ってみたがすっかり回りが変わっている。当時田んぼだったところに大きな道が通っている。
それでも周りを歩いているうちに、所々以前あった小路や商店を見つけた。
たかはし商店。
ここに良く買い物に来ていた事を母が思い出した。私も良くつれてこられたのでぼんやりとだが記憶にある。 店は今もやっているようだ。チャー坊に駄菓子を買ってやるついでに入ってみた。店内は奥の方の棚には空っぽだ、手前の方にだけ駄菓子を置いてある。電気も半分消され入り口でおばあさんがテレビを見ながら店番をしている。まるで昭和の一コマから抜き出したような不思議な光景。
母も後から入ってきて店番のばあさんといきなり話を始めた。昔この辺りに住んでいた事を話すと、ばあさんもこの辺りのその後の様子などを話し始めた。 ばあさん同士良く会話が弾むもんだ(笑)
30年ぶりの津山だが、まさかこんなに想い出の収穫があるとは思わなかった。すっかり景色は変わってはいたが、実際に歩いてみると所々に昔の面影が残っているものだ。付き合ってくれた義弟、ありがとう。
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